東京地方裁判所 昭和29年(ヨ)9886号 判決 1955年12月24日
債権者 パーク・デイビス・アンド・カンパニー 外一名
債務者 山之内製薬株式会社
主文
一、債権者等が、共同して、金五千万円の保証を立てることを条件として、次のように定める。
(一) 債務者は、特許出願公告昭和三十年第二、六二三号による製造のうちアミノヂオールのベンザル化合物(シフ塩基)をヂクロルアセチル化する方法を用いてクロラムフエニコールを製造してはならない。
(二) 債務者は、右の方法を用いて製造したクロラムフエニコールを、販売または拡布してはならない。
(三) 債務者方に存在するクロラムフエニコール(パラキシン)の完成品に対する債務者の占有を解いて、債権者等の委任した東京地方裁判所執行吏に保管を命ずる。この場合において、執行史は、その保管にかかることを公示するため適当の方法をとらなければならない。
二 訴訟費用は、債務者の負担とする。
事実
(申立)
債権者パーク・デイビス・アンド・カンパニー訴訟代理人は、「債務者は、債権者が提起した、物品製造販売禁止ならびに損害賠償請求訴訟(東京地方裁判所昭和三十年(ワ)第七、九二二号事件)の判決確定に至るまで、クロラムフエニコール(商品名パラキシン)なる薬品の輸入、製造、販売ならびに領布、その他一切の処分行為をしてはならない。債務者方に存在する右クロラムフエニコールの製品、見本に対する債務者の占有を解いて、債権者の委任する東京地方裁判所執行吏にその保管を命ずる、執行吏はその保管にかかることを公示するため、適当の方法をとらなければならない」との判決を求め、
債権者三共株式会社訴訟代理人は、「債務者は、債権者の提起した物品製造販売禁止ならびに損害賠償請求訴訟(東京地方裁判所昭和二十九年(ワ)第一一、七七一号事件)の判決確定に至るまで、クロラムフエニコール(商品名パラキシン)なる薬品の製造ならびに販売をしてはならない。債務者方に存在する右クロラムフエニコールの製品、中間体、見体、広告、パンフレツト、包装紙、包装用材料に対する債務者の占有を解いて、債権者の委任する東京地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。執行吏は、その保管にかかることを公示するため、適当な方法をとらなければならない」との判決を求めた。
債務者訴訟代理人は、本件各申請は、いずれも却下するとの判決を求めた。
(債権者等の主張)
債権者等訴訟代理人は、申請の理由として、次のとおり陳述した。
一、債権者パーク・デイビス・アンド・カンパニー(Parke Davis &Co. 以下債権者パーク社という。)は、アメリカ合衆国ミシガン州法に基いて設立され、医薬品の製造販売を業とする米国会社であり、現に商品名をクロロマイセチンと称する医薬品を製造販売している。
右クロロマイセチンは日本薬局方をクロラムフエニコール(化学名D-(一)-スレオ-2-ヂクロロアセトアミドーユーバラニトロフエニルー1、3-プロパンヂオル)と称し、腸チフス、肺炎、淋病、赤痢、リケツチア等の伝染性病菌に対して卓効のある新規治療剤であり、債権者パーク社は、その製法に関して、各国において特許権を有し、わが国においても、次に記述する合計五十一件の特許権を得ている。
(1) 一八五、六九五号 (2) 一八五、六九六号 (3) 一八五、六九七号
(4) 一八五、九〇六号 (5) 一八六、一二九号 (6) 一八六、一六八号
(7) 一八六、一六九号 (8) 一八七、五〇七号 (9) 一九〇、二五四号
(10) 一九〇、六九六号 (11) 一九一、〇一三号 (12) 一九三、六八五号
(13) 一九四、四四九号 (14) 一九四、四五〇号 (15) 一九四、八二六号
(16) 一九五、一八四号 (17) 一九五、一八五号 (18) 一九五、四五九号
(19) 一九五、八五九号 (20) 一九六、〇七一号 (21) 一九六、三二四号
(22) 一九六、五七二号 (23) 一九六、七〇三号 (24) 一九八、二六九号
(25) 一九八、五八一号 (26) 一九九、四五二号 (27) 一九九、六六九号
(28) 一九九、八四八号 (29) 二〇〇、三九八号 (30) 二〇〇、八四三号
(31) 二〇〇、八四四号 (32) 二〇一、四五五号 (33) 二〇一、九〇四号
(34) 二〇二、〇四〇号 (35) 二〇二、〇七二号 (36) 二〇二、四三七号
(37) 二〇三、一五三号 (38) 二〇三、二六二号 (39) 二〇三、三三七号
(40) 二〇三、五八九号 (41) 二〇三、六六一号 (42) 二〇三、七〇五号
(43) 二〇四、六〇七号 (44) 二〇四、九三〇号 (45) 二〇五、四〇八号
(46) 二〇七、〇八七号 (47) 二〇五、三四五号 (48) 二〇六、七一六号
(49) 二〇八、六一五号 (50) 二〇八、七七四号 (51) 二一〇、七〇七号
二、債権者三共株式会社(以下債権者三共という。)も、医薬品の製造販売業者であるが、昭和二十五年八月、他に先んじて債権者パーク社からクロロマイセチンを輸入し、その後同債権者との間で、技術援助契約並びにその変更契約を締結して、同債権者の有する前掲特許権のうち(1) から(46)までの権利について、わが国における独占的実施の許諾をうけ、右各契約は、昭和二十六年七月十八日附及び昭和二十九年五月二十九日附で、外資に関する法律の規定による主務大臣の認可を得たので、同年十一月二十四日右各実施権を登録し、現に右実施権に基いてクロラムフエニコールを製造し、商品名をクロロマイセチンと名づけて、わが国内に販売し、債権者パーク社に対しては、約定金額による特許使用料を支払つているものである。
三、しかるところ、同じく医薬品の製造販売を業とする債務者は、昭和二十九年五月頃から、西ドイツ国マンハイム市のベーリンガー・ウント・ゼーネ会社(Boehringer & Soehne G.m.b.H)(以下ベーリンガー社という。)の製造にかかるクロラムフエニコールを輸入し、またはその中間体を輸入して加工し、商品名をパラキシンとして、同年七月頃からわが国の一般市場に売り出すに至つたが、更に同年十月からは、パラキシン製造のための工場を新設して、原料から一貫した製造並びに販売を行いつつある。
四、パラキシンとクロロマイセチンとは、ともにクロラムフエニコールであるから、同一の薬品でありまた両者を化学的物理的方法によつて比較しても、その同一であることが判明している。
五、元来、クロラムフエニコールは、微生物ストレプトマイセス・ヴエネゼラの人工培養液から採取された物質で債権者パーク社の研究員が苦心研究の結果、昭和二十四年その合成に成功し、はじめてその構造式
<化学式省略>
を解明し得たものである。この種の有機化合物は、構造式の確定によつて、はじめてその本質が明らかにされるものであるから、この意味では、クロラムフエニコールは、債権者パーク社の発見にかかるものということができる。わが国においても、同債権者の有する前掲各特許権の連合国人工業所有権戦後措置令第九条の規定による優先権主張日以前、例えば培養による製法の特許一九九、六六九号((27))については昭和二十二年八月二十八日、合成による製法の特許一八五、六九六号((2) )については昭和二十三年三月十六日の以前には、クロラムフエニコールが公知公用となつた事実のないのは勿論、物質自体または、その文献すら入手できなかつたのが実情である。このように、クロラムフエニコールが特許法上の新規物質であることは疑がなく、従つて、債務者の製造方法は、特許法第三十五条第二項の規定によつて、債権者パーク社の前掲特許権による製造方法と同一のものと推定されるのであるから、債務者において、債務者の製造方法が債権者パーク社のこれと異ることを明らかにしない以上、債務者は債権者等の権利を侵害しているものといわなければならない。
六、そればかりでなく、クロラムフエニコールの合成は、種々の複雑な化学反応をかさね、数多くの中間体を経由したうえで、できるのであり、従つて合成の方法もいろいろ考えられるのであるが、債権者パーク社の有する前掲五十一件の特許権は、工業的可能で、しかも、収量の極めて良好な、あらゆる製法を網羅しているため、右特許にかかる方法を用いることなしにクロラムフエニコールを製造することは、工業的に不可能なことである。従つて、債務者の製法が右特許にかかる各製法のいずれかと同一であることは、明白であり、債務者が債権者等の特許権並びに実施権を侵害していることは、疑問の余地がない。
七、しかして、債権者等が右権利侵害によつて被つた損害額を計上すれば、
(一)、クロラムフエニコールをわが国において販売しているのは、債権者三共と債務者だけであるところ債務者が製造販売するパラキシンの検定数量は、国立予防衛生研究所発表の昭和二十九年度年報によるときは、昭和三十年三月末までに約八百五十三キログラムであるから、これをクロロマイセチンの販売価格一グラム三百五十円利益率三割として計算すると、八千九百五十六万円となり、この金額が、すなわち債権者三共が当然販売し得べくして販売し得なかつたことによる損害額である。
(二)、更に、債務者は、債権者三共が従来から啓蒙宣伝して開拓したクロロマイセチンの市場に対し、あるいは値下げをして売価を崩し、あるいは特定地域、特定施設を目ざして重点的に販路を獲得し、そのため、同債権者をして、昭和三十年二月からは、特許料算定の基礎となる国際価格より遥かに低廉な価格(従来の一割五分安)に値下げすることを余儀なくさせて、年間売上高二十五億円の一割五分、すなわち三億七千五百万円の損失を与えている。
八、また、将来被ることのあるべき損害額については、本件当事者間の本案訴訟の終了まで、仮に二年を要するとして計上すると、まず、クロラムフエニコールのわが国における推定全需要量は毎月五百キログラムで、債権者三共は、優にこれを賄うに足る生産能力をもつているにもかかわらず、債務者の月産数量は百五十キログラムであるから、
(一) 二年間の販売減は、前述のとおり、クロロマイセチン一グラムの価格を三百五十円、利益率を三割とすれば、三億七千八百万円であり、
(二) 債務者の値上げにより、更に二割の値下げを強いられることによる損害は、五億八千八百万円であり、
(三) 販売量が五百キログラムから三百五十キログラムに減少することによつて、原価は十五パーセント上昇するので、これによる損害額が四億四千百万円であり、
(四) パラキシンの販売に対抗するために要する販売費用の増加は、二億四千万円に達し、
以上の合計額は十七億余円となり、すでに被つた前記損害額と合算すると、債権者三共の損害は、実に二十億円を超える莫大なものとなる。
九、次に債権者パーク社は債権者三共から、特許使用料として、クロロマイセチン一グラムにつき約三十円を受ける約束であるから、右の計算による数字を基礎とすれば、債権者三共の販売減により、毎月四百五十万円、二年間に一億八百万円の収入減となるほか、債務者が将来債権者パーク社の特許を有しない諸外国にパラキシンを輸出することを考慮すると、更に損害は増大する。しかも、元来、特許権は財産権であるとともに、人格権でもあり、この面の侵害による損害は、金銭に見積り得ないものである。すなわち、債権者パーク社が、多年の苦心研究と、多額の出費とによつてはじめて世界にクロラムフエニコールを提供したことについての功績は、高く評価され、尊重されるべきであるにもかかわらず、これが、わけもなく侵害されてゆくことは、まことに、同債権者の堪え難いところであり、その損害は、とうてい金銭に見積り得ないものがある。
十、以上の理由により、債権者パーク社は、特許権に基き、また、債権者三共はその実施権に基いていずれも債務者を被告として東京地方裁判所に、クロラムフエニコールの輸入、製造、販売、領布の禁止並びに特許権等侵害による損害賠償請求訴訟を提起したが(昭和二十九年(ワ)第一一、七七一号及び昭和三十年(ワ)第七、九二二号事件)、右訴訟の判決確定をまつていては、債権者等の被る損害は、とうてい回復し難いものとなるから、これを避けるため、申請趣旨のとおりの仮処分を得たく、この申請に及んだ次第である。
十一、なお、債務者は、「債務者は、ベーリンガー社との契約により、同社が発明し出願公告となつたクロラムフエニコールの二種の合成法を実施しているのであり、それは特許権の正当な行使であるから他の特許権者といえども、その差止めを請求することは許されない。」と主張する。債権者等としては、右ベーリンガー社の特許出願が、いずれも公告されていることは認めるが、同社と債務者との間に債務者のいうような実施契約があることは知らない。のみならず、債務者の右主張は、明らかに誤つているすなわち、
特許法第七十三条第三項の規定は、出願公告のあつた発明について特許権の効力を生じたものとすべきことを定めたものであり、それを特許権とみなすべきことを定めたものではない。いうまでもなく、特許権は、国家が承認を与えることにより、はじめて行使できるものであり、その承認は、登録によるものといわなければならない(同法第三十四条参照)。すなわち、発明は、登録によつて、はじめて法による特許権としての保護をうけることになるのであり、出願公告があつただけで、そうなるものではない。このことは、特許法が一方において、登録前の発明につき、一括して、「特許ヲウクルノ権利」として構成し(例えば、同第五条、第六条、第十条、第十一条、第十二条など。)、他方に於て、この発明を特許権とは截然と区別して扱つていること(例えば、無効審判、権利範囲確認審判などの手続規定並びに法定実施権(第三十八条)、実施義務(第四十一条)、強制実施許諾請求権(第四十九条)などの実施に関する規定が、いずれも登録前の発明に適用されず、これに反し、特許権の効力に関する第三十六条の規定がこれに適用されることなど。)をみれば極めて明白である。要するに、同法第七十三条第三項の規定は、出願公告があれば、その発明に、特許権の効力だけを付与する趣旨にほかならない。
しからば、こゝにいう特許権の効力とは何であるか、一般に権利の効力には、内部的にその権利内容を実現する効力と、外部的に他人の妨害に対抗する効力とがあり、通常は、権利者は、この二つの効力を利用できるし、また権利者でなければ、このいずれをも利用できないものである。
しかるに、特許権は、この点において、著しい特徴を示している。すなわち、特許発明にかかる物の製造あるいは方法の使用などの権利内容を実現する行為は、あえて特許権の存在をまたなくても、発明者は当然に、みずからこれをすることができるのであつて、特許権の存否によつて何等の影響を受けるものではない。また、反対に、特許権者であるからといつて、無条件にその製造あるいは使用を許されるものでないことは、特許権の実施について、先行権利者の実施許諾を要する旨の第三十五条第三項、第四十九条の各規定によつても明らかなところである。これに反し、発明者が外部からの妨害に対抗し得るためには、必ず特許権を有しなければならないのであり、単なる発明では、その妨害を排除することができない。従つて、特許権の効力は、権利内容実現の面にはなく、専ら妨害排除の面にあるといわなければならない。先に述べた第七十三条第三項の規定による特許権の効力は、まさに、この意味に理解すべきであつて、これは、右の規定の立法趣旨が、発明の公表とその実施の促進をはかることの裏付として、発明者に独占権を保障し、模倣を禁圧することを想起するとき、極めて合理的な解釈といわなければならない。従つて、仮りに、債務者がベーリンガー社の発明を実施しているとしても、これをもつて権利の行使とはいゝ得ないのである。
また、もし、債務者の右の主張が、債務者の製法が本件特許による製法と異るから正当であるとの意味を含むのであれば、それは、やはり誤りである。なぜならば、出願公告は、特許庁の審査官が、出願拒絶の理由を発見し得ないときにされるのであるが、このような審査には、往往過誤が生じやすいから公告後一定期間を限つて、公衆に異議申立を許し、公衆の審査に付して正確を期する意味でされるものである。従つて、異議申立期間中は、特許要件の審査期間の継続であり、特許障碍事実の不存在は、あくまで未定であつて、これが確定するのは登録のときである。換言すれば、公告があつても、それだけでは、その発明が、出願以前の他の特許権等にてい触するか否かについて、特許庁において有権的判断を下したことにはならないのであり、本件では、ベーリンガー社の発明が債権者パーク社の各特許権に触れないということは、全然確定していないわけである。
十二、次に、仮に、債務者がその主張する方法でクロラムフエニコールを製造しているとしても、それが債権者等の特許権を侵害していることは明白である。すなわち、債務者の右製法は、債権者パーク社の前掲特許権のうち、(6) 一八六、一六八号、(7) 一八六、一六九号、(1) 一八五、六九五号、(2) 一八五、六九六号、(4) 一八五、九〇六号、(10)一九〇、六九六号、(11)一九一、〇一三号及び(51)二一〇、七〇七号を侵害するものである以下その詳細を説明する。
十三、元来、右八件の特許権のうち、(51)二一〇、七〇七号を除く他の七件は、同じく債権者パーク社の有する特許権(3) 一八五、六九七号及び(5) 一八六、一二九号とともに、特願昭和二十四年二、三九四号として、一発明として包括出願されたものを、一発明一出願の原則に従い、特許庁の指示によつて、分割出願としたものであり、あくまでもクロラムフエニコール製法についての一貫した製法の特許と見るべきものである。このことは、右九件の各特許公報に、「特願昭和二十四年二、三九四号の分割」と表示してあるほか、その「発明の詳細なる説明」欄において、当該製法によつて得られた物質が、いずれも抗菌性物質クロラムフエニコール、またはその中間体となる旨の記載並びに右物質からクロラムフエニコールを製造する工程の概要の記載があることからも、十分理解されるところである。
十四、右各特許の請求範囲並びにこれに基く具体的な製造方法は、次のとおりである。
(一) 特許一八六、一六八号は、抗菌性物質、または、その製造のための中間体を得る目的のもとに、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるカルボニル化合物を、アルカリ性縮合用触媒の存在において、β-ニトロエタノールと縮合させて、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるニトロヂオール化合物を得、この化合物のニトロ基を還元して、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるアミノヂオール化合物を生ぜしめる方法(これらの式中R3は水素、または、低級アルキル基を、R4とR5とは同一又は異つて、水素、ハロゲン、低級アルキル基、低級アルコキシ基を表わす。)を、その権利範囲とする。
現実の製法においては、例えば、ベンツアルデヒド<化学式省略>とβ-ニトロエタノールNO2CH2CH2OHとを縮合させてニトロヂオール
<化学式省略> …………(P1)
を作り、次にこのニトロ基を還元してアルノヂオール
<化学式省略> …………(P2)
(二) 特許一九〇、六九六号は、前同様の目的のもとに、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされる(dl)-アミノヂオール化合物の平面異性体の一つを、光学的に活性な酸と反応させ、よつて生じた(d)-異性体、または、(1) -異性体と酸との附加塩を、含水有機溶媒、または、無水有機溶媒から分別結晶によつて分離し、分離された(d)-異性体及び(1) -異性体の酸附加塩を、それぞれ別個に中和して、前記アミノヂオール化合物の遊離塩基に相当する(d)-異性体と(1) 異性体とを別々に得ることを内容とする(dl)-アミノヂオール化合物の平面異性体の一つを分割する方法(式中R6は、水素、またはニトロ基を表わす。R3R4R5は前と同じ。)を、その権利範囲とする。
現実の製法においては、例えば前記(R2)の物質を光学的に活性な酸を用いて光学異性体に分割し、クロラムフエニコール製造に必要な
<化学式省略>
(三) 特許一八六、一六九号は、前同様の目的のもとに、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるアミノヂオール化合物を、実質上無水の条件のもとに、塩基性物質の存在においてアシル無水物、または、アシルハロゲニードと反応させることを内容とする、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされる完全にアシル化されたアミノヂオール化合物の製法(式中R1はアミノ基、またはアシルアミド基を、R2は水素またはアシル基を表わす。R3R4R5は前に同じ。)を、その権利範囲とする。
現実の製法においては、フエニル環にニトロ基を導入する前提として、プロパン骨格の二位のアミノ基ならびに一位と三位の水酸基を保護する必要があり、そのために、例えばP3の物質をアシル化して、
<化学式省略>
を作るのである。また、このとき、アシル化剤としてヂクロルアセチル化剤を使用すれば、
<化学式省略>
が生成する。
(四) 特許一八五、六九五号は、前同様の目的のもとに、一般式(Pa)((三)参照)をもつて表わされる化合物を、濃硫酸と硝酸の混合物、または、百パーセント硝酸、または、発煙硝酸を用いて、ニトロ化することを内容とする一般式
<化学式省略>
をもつて表わされる化合物の製法(式中R3R4R5については前に同じ。)を、その権利範囲とする。
現実の製法においては、例えば、(P4)または、(P7)のフエニル環のパラ位にニトロ基を導入して、
<化学式省略>
または、
<化学式省略>
を作るのである。
(五) 特許一八五、六九六号は、前同様の目的のもとに、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるポリアシル化された化合物を、水と混和し得る有機溶媒を含有する水溶液に溶解したアルカリ金属水酸化物で処理することによつて加水分解させることを内容とする、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるN-アシルアミドヂオール化合物の製法(式中R1は水素、または、アシル基を表わす。R3R4R5R6は前に同じ。)をその権利範囲とする。
現実の製法においては、例えば、(P8)の物質の一位と三位のアシル基を、加水分解によつて除去し、目的物クロムフエニコール
<化学式省略>
を得るのである。
(六) 特許一九一、〇一三号は、前同様の目的のもとに、一般式(Pb)((四)参照)をもつて表わされるトリアシル化された化合物を、酸性、または、アルカリ性の加水分解剤を用いて加水分解させることを内容とする。一般式
<化学式省略>
をもつて表わされる遊離アミノヂオール化合物の製法(式中R3R4R5は前に同じ。)を、その権利範囲とする。
現実の製法においては、例えば(P5)のアシル基を全部加水分解によつて除去し、
<化学式省略>
を得るのである。債権者三共においてはこの物質を「1-ベイス」と名づけている。
(七) 特許一八五、九〇六号は、前同様の目的のもとに、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるアミノヂオール化合物を、穏和なアシル化条件のもとに、アシル化剤と反応させて一般式(Pc)((5) 参照)をもつて表わされるN-アシルアミノヂオールを製造する方法(式中R3R4R5R6は前に同じ。)を、その権利範囲とする。
現実の製法では、「1-ベイス」の二位のアミノ基をヂクロ酸メチルエステルによりアシル化して目的物クロラムフエニコールを得ることができる。
(八) 特許二一〇、七〇七号は、以上の各特許とは、その系列を異にするものであるが、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされるアミンを、酸結合剤の存在のもとに、クロラールシアンヒドリン、もしくは、それに対する前駆物(プレカーサー)と反応させることを内容とする、一般式
<化学式省略>
をもつて表わされる立体異性化合物、もしくは、それらの混合物の製法(これらの式中、R1R2は同一または、異つて、それぞれ一つの水素原子、または、低級アルキル基、または、アラルキル基を表わし、あるいは、両者合して、二つの酸素を結合する-CO-または-CHR6-基を構成するものとし、R3は水素、または、ニトロ基を表わすものとし、R6は水素、または、低級アルキル、シクロアルキル、アリル、または、アラルキル基を表わすものとする。)を、その権利範囲とするものである。
十五、右に述べた(1) から(7) までの特許権を、一貫したクロラムフエニコール製法の特許と見るときは、その特徴として、次の諸点を挙げることができる。すなわち、
(一) 一位と三位に水酸基を有し、二位にアミノ基に変換し得る基を有するフエニルプロパンから出発すること(一八六、一八六号)
(二) 二位に結合する基をアミノ基に変換すること。(一八六、一六八号)
(三) フエニール環のパラ位にニトロ基を導入すること。(一八五、六九五号)
(四) 二位のアミノ基をヂクロロアセルチル化すること。(一八五、九〇六号、一八五、六九六号)
(五) 以上の化学反応中適当な段階において、化合物を光学異性体に分割し、1-スレオ体を折出すること。(一九〇、六九六号)
十六、しかして、すでに述べたように、クロラムフエニコールは新規物質であるから、右各特許権の特許明細書の解釈に当つては、学者のいうとおり、「明細書は一体とし、発明の性質及び目的を参酌して解釈すべき」はもちろん、「新規の方法により新規の事物を発生させる発明は、広く解釈すべく、その場合は、その方法として明細書に記載されたものは、効果を発生するための一手段と考えられるから、同一の効果を発生する他の均等の手段をもつてしてもその本来の発明の範囲に包含されると解」さなくてはならぬ(清瀬一郎特許法原理)のであつて、この観点から債務者の主張する製法をみるときは、十七において詳細に述べるように、本質的には債権者パーク社の右特許による方法と同一ということができる。すなわち、債務者の製法は、工程の順序が若干ずれているように見えるけれども、右特許による方法と同様の物質に対して同様の操作をしており、生成する中間物も全く同一か、もしくは、酷似している。要するに、債務者は、微細な部分を変えて、実質的には債権者の方法を盗用しているものといわなければならないのであり、かような方法は、前記各特許権の権利範囲を出るものではないから、債務者が右各特許権を侵害していることは明白である。
十七、債務者の権利侵害の事実は、以上によつて明らかであるが、なお、具体的工程における侵害について逐一説明すると、次のとおりである。
(一) 光学異性体の分割工程
債務者の主張する二つの製法は、いずれも桂皮アルコールブロムヒドリンの二位のブロムをアミノ基に置換したのち、光学異性体に分割する工程を含んでいる。この工程を本件特許(10)一九〇、六九六号と対比すれば、まず、分割剤として光学的に活性な酸を用いることにおいて同一である。債務者の使用するヂベンゾイル酒石酸が、分割剤として用い得る光学的な活性な酸であることは、債権者パーク社の本特許出願前すでに公知であり、債権者三共における実験の結果によつても、(B4)の物質を酒石酸で分割するのと、ヂベンゾイル酒石酸で分割するのとでは、その収量において、ほとんど差異がないことが明らかである。従つて、ヂベンゾイル酒石酸を用いることは何ら特色のある方法ではない。
次に、分割の対象物質をみると、債務者のそれ(B4)は、二個の水酸基間にヂオキサン環が形成されている点で、債権者のそれと異るようであるけれども、しかしこの差異は、光学異性体の分割に際しては何の意味ももたない。すなわち、重要なことはプロパン骨格の一位と二位の炭素が不斉炭素であり、二位の炭素に光学的に活性の酸と結合すべき遊離アミノ基が連結していることだけであつて、化合物の光学異性体を決定するものは、その中の不斉炭素原子であり、その分割をする場合は、その化合物が塩基のときは、これに光学的に活性な酸を反応させて、アミノ基と酸との結合による塩を生成させることによつて行うのである。従つて、一位及び三位の水酸基は、分割に何の関係もなく、これが遊離であろうと閉鎖されていようと、その間に差異はない。債務者の対象物質は、一位と二位に不斉炭素があり、二位に遊離のアミノ基がある点では、債権者の権利範囲に属する。しかも、クロラムフエニコールの製造過程の観点からすれば、債務者の製法によつても、ヂオキサン環は、すでにこの段階では全く何の意味もないから、ただちに除去し得るものであるし、除去しても後の工程に支障はない。この工程は、単に債権者パーク社の特許権と異るように見せるため、ヂオキサン環結合のままにしているに過ぎないのであつて、分割の目的は、もとよりクロラムフエニコール製造の中間体である1-異性体の化合物を得ることにあるのであるから、特許侵害の事実は歴然としている。
(二) アミノヂオキサンのヂクロルアセチル化の工程
債務者主張の製法中、(B5)の物質をヂクロルアセチル化して(B6)を作る工程と、本件特許(4) 一八五、九〇六号とを対比すると、アシル化剤の点では、債務者の用いるヂクロルアセチルクロリドが右特許中のアシル化剤(ことにアシルハロゲニードの権利範囲に属することは明白であり、また対象物質の点では、たゞ、一位と三位の水酸基が遊離であるのとヂオキサン環を形成しているのとの相違があるけれども、(B5)のヂオキサン環は、この反応では何の役割も果していない。すなわち、一位と三位の水酸基を保護しなければ、二位のアミノ基のヂクロルアセチル化ができないのであれば、ヂオキサン環存在の意義を認めることもできないが、実際には、保護の必要はなく、いつでも除去できるし、また除去しても後の工程に支障を来すことはない。すなわち、この場合においても、債務者の方法は均等の物質を、同一方法で、均等の物質に変じているに過ぎない。
しかも、その目的は、等しくクロラムフエニコール製造に必要なヂクロロアセチル基の導入にあるのであるから、これが右特許権を侵害することは明白である。
また、債務者の右工程と、本件特許(51)二一〇、七〇七号とを対比すると、右特許による製法の対象物質には、
<化学式省略>
(式中R6は十四(八)のR6に同じ。)
という型のアミンが含まれることが明らかであるが、この化合物は(B5)と全く同一といつてもよいくらい酷似し、この両者がヂクロルアセチル化に際して同一反応性を有することは明白である。従つて、たとえ、債務者が、ヂクロルアセチル化の方法として、本件特許請求範囲であるクロラールシアンヒドリン、または、それに対する前駆物を用いる方法を避け、他の物質、例えば、ヂクロルアセチルクロリドを使用する方法に限定したとしても、債務者の右工程が右特許権の侵害となることを免れることはできない。
(三) ニトロ化の工程
債務者は、アミノ化合物のフエニル環のパラ位にニトロ基を導入するについて、次の四種の方法を使用すると主張している。すなわちその一は、(B6)の化合物に、無水醋酸と硝酸を作用させて、ヂオキサン環の開裂なしにニトロ化して(B11)とする方法、その二は、(B6)を弱酸処理によつてヂオキサン環を開裂して(B7)としその後ニトロ化して(B8)とする方法、その三は、(B6)に硝酸を作用させて、ヂオキサン環の開裂と同時にニトロ化して(B8)とする方法、その四は、(B5)を稀硝酸で処理して、アミノヂオールの硝酸塩
<化学式省略>
とし、これに硝酸及び硫酸を加えて、
<化学式省略>
とする(債務者は、(B9)から、(B10)を製造するのを一工程であるかのように主張するけれども、一旦、(B9)をニトロ化して(B9-1)としたのち、水酸基に附着した余分のニトロ基を除去して、
<化学式省略>
とし、更にその後にベンザル化合物を作るのであるから、正確には三工程としなければならない。)方法である。
前掲その一の方法は、実施不能であることが、債権者三共の実施した実験の結果によつて明らかにされている。実験の結果、目的とする(B11)の物質は得られず、ヂオキサン環が開裂して(B8)が生成することが判明した。このような実施不能の工程を、特許明細書に掲記していることは、ベーリンカー社の製法が、発明的価値に乏しいことを物語るものといわなければならない。
また、その二以下の方法は、債権者三共の実施した実験の結果によると、(B7)→(B8)、
(B6)→(B8)の各反応は、いずれもその中間において、
<化学式省略>
という物質が生成し、また(B9)→(B9-1)の反応の中間においては、
<化学式省略>
という物質が生成し、しかるのちに、これらのフエニル環のパラ位にニトロ基が導入されて、(B8)または(B9-1)となる事実が判明している。そこで、この(Ba)→(Bb)、及び(Bb)→(B9-1)の反応過程と、本件特許(1) 一八五、六九五号とを対比すると右特許(P4)というアシル化合物を、硝酸、または、硝酸と硫酸の混合物を用いてニトロ化し、(P5)を製造する方法を保護するものであるから債務者の前記反応過程と、ニトロ化の方法においては同一であり、ただ、その対象物質において、一位及び三位の水酸基が、(P4)ではO-アシルというエステルであるに対し、(Ba)及び(Bb)ではO-NO2というエステルである点及び二位のアミノ基が(P4)ではアシル化されているに対し、(Bb)では硝酸塩となつている点に差異があるに過ぎない。
そこで、まず第一の差異について考えるに、一般にエステルとは、アルコールと酸とから水がとれて生じた化合物をいうのであり、この場合の酸は、有機酸であると無機酸であるとを問わないことは各種の化学辞書に明記されており、また、アシルの語が、広く有機酸及び無機酸を含む酸の残基を意味することは、化学界において最も権威のあるウルマンの化学百科辞典の記載によつても明白であるから、水酸基(アルコール)のアシル化すなわち、O-アシル化は、エステル化と完全に同義である。換言すれば、O-アシルの語は、有機酸エステル及び無機酸エステルの両者を意味し、一般式(Pb)(十四の(四)参照)中のO-アシルも、もちろん、その例外ではないから、債務者の用いる(Ba)または(Bb)の物質は、右一般式(Pb)をもつて表される化合物中に含まれるものといわなければならない。すなわち、この場合においても、債務者の製法は、均等の物質を、同一方法で、均等の物質に変じているのであり、しかも、その目的も等しくクロラムフエニコール製造の中間体であるニトロ化合物を得るにあるから、これが本件特許権にてい触することは多言を要しない。
次に、第二の相違点も結局は問題にならない。すなわち、いずれの化合物も、ニトロ化に際してアミノ基を保護するために通常行われる手段を用いたもので、(P4)がアミンの置換体であるに対し(Bb)はアミンの塩であるに過ぎず、両者は均等の物質というべきである。従つて、この点においても、右特許権侵害の責を免れることはできない。
更に、債務者の製法中、(B7)→(Ba)及び(B9)→(Bb)の各工程において、一位と三位の水酸基をニトロ化(O-NO2)する点に着目し、これと本件特許(7) 一八六、一六九号とを対比すれば、すでに述べたとおり、ニトロ化はO-アシル化の概念に包含されるものであるから、この場合も債務者の製法は、均等物に変じたこととなり、本件特許権にてい触すること、明白である。
(四) 加水分解の工程
債務者の主張する特許出願公告昭和二十九年八、二七六号(以下、公告八、二七六号という。)の製法中、(B8)の物質を加水分解してクロラムフエニコールを製造する工程と、本件特許(2) 一八五、六九六号とを対比すると、その対象物質は、前者においては一位及び三位の水酸基がONO2というエステルであるに対し後者においてはO-アシル(十四の(5) 参照)であるから、前項に述べたと同一の理由により、前者は後者の概念に包含されるものである。また、その方法は、前者が酸性加水分解、後者がアルカリ性加水分解があるか、いずれの分解方法をとるかは随時必要に応じて決定し得るものであり、重要なことではなく、目的は、等しくクロラムフエニコールを生成させるために一位のエステルを選択的に除去するにあるから、両者は同一の方法といつても過言でない。従つて、右工程が本件特許権にてい触することは明白である。
また、特許出願公告昭和三十年二、六二三号(以下公告二、六二三号という)の製法中(B9-1)の物質の水酸基に附着したニトロ基を除去する工程と、本件特許(II)一九一、〇一三号とを対比すると、対象物質は(3) で述べたと同一の理由によつて、同一または均等といい得るし、方法においても、右特許は、酸性またはアルカリ性の加水分解剤で処理することを権利範囲としているから、右工程は明らかに本件特許権を侵害するものである。
(五) ベンザル化合物のヂクロロアセチル化
債務者の主張によれば、債務者は、公告二、六二三号の製法の最終の工程で(B9-2)の物質(これは、1-ベイス、すなわち(P6)と同一物である。)をベンザル化合物(B10)として反応液中からとり出し、これにヂクロル醋酸メチルエステルを反応させて、クロラムフエニコールを生成しているのであるが、これは、次の二つの理由で、本件特許(4) 一八五、九〇六号の権利にてい触する。
(イ) 債務者の主張によれば、債務者は、(B9)の物質をニトロ化し、加水分解をして得られた生成物が、ぼう大な量の水に溶存しているため、これをとり出す手段として、ベンツアルデヒドを加えて沈澱させ、分離取得するというのであるが、元来、1-ベイスは水に溶け難く、水から分離することは容易であり、現に債権者三共の製法では、特許一九一、〇一三号の方法により、これを結晶として収得している。しかるに、債務者が、ことさらに迂遠の方法をとり、ベンツアルデヒドとの反応生成物としてこれをとり出している理由は、1-ベイスのままとり出せば、次のヂクロルアセチル化の工程において、債権者パーク社の特許にてい触するとの非難を避けるためであり、かつは、また、前のニトロ化の工程で、水酸基遊離のまゝ、硝酸と反応させるという化学常識上無謀な操作をするために不純物が混在し、1-ベイスの分離が困難となつたからと思われる。債務者がベンザル化合物を用いる目的が、単に1-ベイスをとり出すために過ぎないことは公告二、六二三号の特許公報中請求の範囲欄に、「生成したスレオ-1-(P-ニトロフエニル)-2-アミノーブロパンヂオール-1、3をアルデヒド、殊にベンツアルデヒドとの縮合生成物の形で分離し」と記載してあることによつても明らかである。このように、先行特許にかかる方法の使用を免れるため、ことさらに工業上不必要な迂回を行つても、それは、やはり、その特許請求の範囲に包含される方法というべきであつて、この観点から債務者の本工程を特許一八五、九〇六号の方法と対比すれば、対象物質並びにその方法において、全く同一といわなければならない。
(ロ) 更に、右ベンザル化合物のヂクロロアセチル化に際しては、必ず一旦1-ベイスが生成し、これかヂクロロアセチル化剤と反応するのであるから、この意味でも右特許権を侵害するものである。
債権者の実験の結果によると、無水条件下においてベンザル化合物にヂクロル醋酸メチルエステルを反応させたときの構造式は
第一段階
<化学式省略>
第二段階
<化学式省略>
第三段階
<化学式省略>
であることが判明し、
また、一分子の水でも存在するとき(工業的には、いささかの水をも混入させないことは不可能である。)の反応機構は、
<化学式省略>
となり、次に1-ベイスがヂクロル醋酸メチルと作用して、クロラムフエニコールとメタノールが生成する反応は前と同一であり、なおこのほかに、ベンツアルデヒドとベンザル化合物とが反応して、前記パラニトロフエニルヂオキサゾリジンと水が生成すること判明した。すなわち、債権者の実験によると、あるベンザル化合物にヂクロル醋酸メチルを反応させる場合、ベンザル化合物がジオキサゾリジン体を形成し得ないような構造、すなわち水酸基をもつていないか、または、一つしかもつていない構造のもの(換言すれば、一級アミン以外のもの)であるならば、ヂクロルアセチル化が起らないことが証明されている。ヂオキサゾリジン体は、ベンザル化合物からベンツアルデヒドがはずれて、遊離アミノ化合物となつたとき、そのベンツアルデヒドと他のベンザル化合物とが反応して生成するものであるから、ヂオキサゾリジン体ができないということは、遊離アミノ化合物ができないということであり、従つて、また、遊離アミノ化合物ができないときは、ヂクロルアセチル化反応は起らないということになる。故に、債務者の実施する本工程において、ベンザル化合物にヂクロル醋酸メチルが反応してクロラムフエニコールが得られるのは、ベンザル化合物から遊離アミノ化合物である1-ベイスが生じ、これと、ヂクロル酸メチルとが反応するからにほかならない。しかして右の反応は、本件特許一八五、九〇六号のそれと全然同一である。
十八、債務者の実施する方法が本件各特許権にてい触する事実は、以上によつて明白であるが、なお、その他の点について、それが決して新規な発明ではない理由を略説する。
(一) 桂皮アルコールについて
債務者の製法の出発物質である桂皮アルコールは、ほとんどが香料工業の原料であるから、市場は狭く、大量には生産されず、ことに、わが国では専ら輸入によつて得られるもので、安価でない。しかも、これはベンツアルデヒドによる合成品であるから、この合成工程をも考慮に入れれば、クロラムフエニコール製造の全体の工程は複雑となる。また、桂皮アルコールのブロムヒドリン化反応では、必要とするモノブロムヒドリン(B2)ばかりでなく、不必要なヂブロム体
<化学式省略>
も必ず同時に生成するから、モノブロムヒドリン(B2)の収量は低下することとなる。しかも(B2)と本件特許(6) 一八六、一六八号の対象材質のニトロヂオル(P1)とは、いずれも二位にアミノ基を導入する可能性のある物質として均等のものである。要するに桂皮アルコールを用いることは決してすぐれた工業的発明とはいい得ない。
(二) ヂオキサン環の形成
桂皮アルコールブロムヒドリンのような多価アルコール類に、何らかの化学反応を起させる場合、基本骨格である(水酸基を安全に保護する手段として、二個の水酸基間にヂオキサン環を結ばせることは、エミル、フイツシヤーの実施以来、枚挙にいとまがないほど多くの応用方法が発表されていて、すでに化学者の間では常套手段である。例えば、ホウベン及びワイル著「有機化学の方法」三巻一五〇頁以下(一九二三年)、リヒテル及びアンシユツツ著「炭素化合物の化学即ち有機化学」一巻六五〇頁以下(一九二八年)、スミス及びリンドベルクの論文「五酸化燐によるアセトン化合物」(ドイツ化学会誌六十四巻五〇五頁以下一九三一年)本件特許二一〇、七〇七号の特許公報(一九三〇年)など。また、桂皮アルコールブロムヒドリンのブロムのアミノ化に際し起るアミノ基の転位についてその反応機構が明確にされたのは、債権者パーク社の研究員が米国化学会誌第七十一巻(一九四九年)に発表した論文によるのであり、すでにこれが明らかにされた以上、これを防ぐためには水酸基を保護すれば足りることは自明であり、また、このことについては、他の多くの文献を見ることができる。例えば、ツアツアスの論文「若干のアミノ環状アセタールの化学構造と薬力学」(フランス薬学雑誌八巻二七三頁以下一九五〇年)ハワース、ヒース及びヒギンスの論文「1・6-ヂアミノ-2・3・4・5-ヂメチレンマンニトール」(イギリス化学会誌一九四四年一五五頁以下)など。従つて、この方法は、何らベーリンガー社の発明によるものではない。なお、ヂオキサン環はアルカリ性反応には安定であつても、酸性反応には極めて不安定であるから、ニトロ化のような酸性反応の際にこれを用いることは、少くとも、化学工業上は非常識といわなければならない。
(三) スレオ・エリスロ体
債務者は、ブロムジオキサン(B3)をアンモニアと反応させてアミノヂオキサン(B4)とするときに、ほとんどスレオ体ばかりを収得すると主張するが、公告八、二七六号の特許公報記載の実施例(2) によつて計算すると、スレオ体の収量は六十三パーセントであるから、債権者等の製法による収量八十パーセントに比べると、工業的には甚だしく劣つている。なお、この点においても、ヂオキサン環を用いることによる利益は何もないことが判明する。
(四) 尿素及ぶスルフアミン酸の使用
債務者がニトロ化に際し尿素、または、スルフアミン酸を、用いる理由は、帰するところ、酸性反応に弱いヂオキサン環を、使用することの欠陥が、ニトロ化に際してあらわれて、そのままニトロ化したのでは、加水分解や酸化による副反応の生起をみるため、硝酸中の亜硝酸を除去して、幾分でも酸化作用を防止することを目的とするのであるが、そもそもこのような尿素、スルフアミン酸を特に用いなければならない反応方法自体に欠点があるというべきであるし、しかも、亜硝酸の除去剤として、これらの物質を用いることは有機化学の初歩の常識の範囲を出ないことである。
(五) ベンザル化合物
債務者は、すでにのべたように、遊離水酸基のままニトロ化する非常識な方法によつて、純粋のアミノヂオル(P9-2、P6、1-ベイス)が得られないので、やむを得ず、あらゆる不純物を含んだまま、ベンザル体として沈澱させ、収得しているのであるが、目的物である中間体を純粋に得ることなく、次の工程を進める方法は決して常道ではなく、工業的発明の価値はないと、いわなければならない。
十九、以上述べたところによつて明らかなように、債務者の抗弁はすべて理由がない。
(債務者の主張)
債務者訴訟代理人は、答弁ならびに抗弁として、次のとおり陳述した。
一、債権者等が本件仮処分申請理由として述べる事実のうち、
(一) 本件当事者がいずれも医薬品の製造販売を業とする会社(債権者パーク社は米国会社)であり、それぞれ医薬品クロラムフエニコールを製造し、債権者三共はこれをクロロマイセチンの商品名で、また、債務者はパラキシンの商品名で、わが国一般市場に販売していること。
(二) クロラムフエニコールが、微生物ストレプトマイセス・ベネゼラの生成する物質で、債権者等の主張する化学名、構造式ならびに薬効をもつものであること。
(三) 右構造式は債権者パーク社の研究員が確定したもので、同債権者は、わが国において、クロラムフエニコール製造に関連のある五十一の特許権(その内容は債権者等挙示のとおり)を有しており、このうち債権者等の挙示する九件の特許権は、はじめ特願昭和二十四年二、三九四号として一括出願されたものであること。
(四) 債務者は、はじめベーリンガー社からクロラムフエニコールを輸入し、あるいは輸入したその中間体を加工して販売していたが、昭和二十九年十月からは、新設したパラキシン製造工場でこれを、製造するようになり、現に毎月約百五十キログラムを生産していること。
(五) 債権者三共において昭和三十年二月にクロロマイセチンの薬価を一割五分値下げしたことは、いずれもこれを認めるが、
(イ) クロラムフエニコールが債権者パーク社の発見した特許法上の新規物質であり、従つて、本件について特許法第三十五条の規定の適用があること。
(ロ) 債権者パーク社の有する前記特許権が、クロラムフエニコールの製法のすべてを網羅するものであること。
(ハ) 債務者の製法が右特許による製法と同一であり、従つて、債務者が右特許権を侵害していること。
(ニ) 債務者のパラキシン販売によつて、債権者等がその主張の金額の損害を被つていること。
はいずれもこれを否認し、その余の事実はすべて知らない。
二、更に附言すれば、
まず、クロラムフエニコールは、債権者等の主張するように、放線状菌ストレプトマイセス・ベネゼラによつて生産される天然物であり、昭和二十二年米国において、バークホルダー及びゴツトリーブの両人によりほとんど同時に、各別に土壌中から単離発見されたものであり、わが国でも、梅沢浜夫氏がこれに異る菌種から単離発見している。その構造式が昭和二十四年米国化学会誌七十一巻に発表されると、各国の化学者によつてその製法が研究され、現在では醗酵製法と合成製法とがそれぞれ確立し、合成製法だけをみても債権者パーク社のほか、スイスのホフマン・ラ・ロツシユ会社、英国のメイアンドベイカー会社及びわが国の武田薬品工業株式会社がいずれも、わが国において、その製法の特許を得ている。かようにクロラムフエニコールは、債権者パーク社の発見にかかるものでもなく、現在においては、新規物質でもない。
しかも、元来、特許法第三十五条第二項の規定は、ある物質の製法について特許権を得た発明に対し、その物質が出願当時新規物質であつたならば、特許権存続期間中不変に証拠法上の特典を与える趣旨の規定ではなく、爾後同一物質を対象とする別異の製法が判明するまで、同一製法と推定するという趣旨に過ぎない。従つて、債権者パーク社の特許権取得以後、ロツシユ、ベーカー、武田薬品工業等各会社のそれぞれ異る製法が次々に判明している今日では、もはやクロラムフエニコールについて、かような推定は、適用され得ない。
三、しかして、右債務者の主張が、たとえどのように判断されるにせよ、債務者の製法が、本件各特許権のいずれをも侵害するものでないことは、次の二点において容易に認められるところである。
四、第一に、ベーリンガー社は、クロラムフエニコールの製法について、わが国において二件の特許を出願し、それぞれ昭和二十九年八、二七六号並びに昭和三十年二、六二三号をもつて出願公告されたので、特許法第七十三条第三項の規定により、右特許出願にかかる製法はいずれも特許権の効力を生じたものとみなされるのであるが、債務者は、昭和二十九年九月一日附で主務大臣認可ずみの同会社との技術援助契約により、右各特許権(公告八、二七六号及び公告二、六二三号)のわが国及び韓国その他における独占的実施権を得て、現に右公告二、六二三号の製法をもつて、クロラムフエニコールを製造販売しているのであり、これは特許権に基く正当の行為であるからその製法の具体的内容の如何にかかわらず他の特許権を侵害するものでなく、従つて、他の特許権者がその差止めを請求することはできない。
五、第二に、債権者の製法の具体的内容は、次のとおりであり、そのいずれの工程も、債権者パーク社の有する特許権のいずれにもてい触しない、すなわち
(一) まず、原料として桂皮アルコール
<化学式省略>
を使用し、これに公知の方法によつて臭素及び水を作用させて、桂皮アルコールブロムヒドリン
<化学式省略>
とする。
(二) 次に、右化合物の臭素をアミノ基に置換するのであるが、そのままでは一位の水酸基が二位に転位し、アミノ基が一位に置換されるから、これを防ぐために、アセトンと反応させて一位と三位の水酸基を固定して、ブロムジオキサン
<化学式省略>
とする。
(三) これをメタノールにとかし、加圧下でアンモニアと反応させて、アミノジオキサン
<化学式省略>
とするが、このとき生成するアミノジオキサンは、ほとんどがクロラムフエニコール製造に必要なスレオ異性体ばかりであり、スレオ・エリスロ両体の分割は行う必要がない。
(四) 右化合物をアルコールにとかし、ヂベンゾイル-d-酒石酸を加えて、クロラムフエニコール製造に必要な1異性体のアミノヂオキサンヂベンゾイル-d-酒石酸塩を晶出し、これを水と水酸化ナトリウムで処理して、1体のアミノジオキサン
<化学式省略>
を得る。
(五) 右化合物に硝酸を加えてヂオキサン環をはずし、アミノジオルの硝酸塩
<化学式省略>
とする。
(六) 右化合物の水酸基及びアミノ基を保護することなく、ただちに硝酸硫酸の混液を加え、尿素あるいはスルフアミン酸を添加してニトロ化し、水酸基に附着した余分のニトロ基に、酸性加水分解によりこれを取り除き、同時にベンツアルデヒド<化学式省略>を加えて、ベンザル化合物(シフ塩基)
<化学式省略>
とする。すなわち、加水分解の生成物が、前工程のニトロ化反応以来の多量の無機塩を含むぼう大な量の水の中に溶存している不安定な物質であるため、これを取り出すのは通常至難であるからベンザル化合物として水に沈澱させることによつて、たやすく分離するのである。
(七) これを無水条件下でヂクロル醋酸メチルエステルCH3COOCHCl2と反応させて、目的物クロラムフエニコールを得る。
(八) また、ベーリンガー社の公告八、二七六号の方法は、債務者において使用していないけれども、必要に応じて、いつでも使用し得る方法であるから、念のために略記すれば、(B5)を作るまでは右と同一であり、その後の工程が異つている。すなわち(B5)の物質をヂクロル醋酸メチルエステルによつてヂクロルアセチル化し、ヂクロルアセチルアセトンアミン
<化学式省略>
(九) これを、同時に(第一、(B6)→(B8)→クロラムフエニコール)または、任意の順序で、(第一、(B6)→(B11)クロラムフエニコール、第三、(B6)→(B7)→(B8)→クロラムフエニコール)ニトロ化及びヂオキサン環の分解をする。詳説すれば、
第三の方法では、まず弱酸処理によつて、役目の終了したアセトンをはずしてヂクロルアセチルアミノヂオル
<化学式省略>
とし、ついて、これを尿素、または、スルフアミン酸を利用して水酸基遊離のままニトロ化してパラニトロヂニトロエステル
<化学式省略>
を作り、ついで、還元的環境のもとで加水分解して、一位と三位のニトロ基を除去して、クロラムフエニコールを得るのであり、
第二の方法では、(B6)を穏和な条件下で、無水醋酸と硝酸によりヂオキサン環を保持したままニトロ化してパラニトロヂクロアセチルアセトンアミン
<化学式省略>
を作り、これからアセトンを除いてクロラムフエニコールを得るのであり、
第一の方法では、(B6)に硝酸を作用させ、アセトンの除去とニトロ化とを同時に行つて(B8)を作り、以下第三の方法と同じ方法でクロラムフエニコールを得るのである。
六、かように、右ベーリンガー社の特許による製法は、何ら債権者パーク社の特許権をてい触していないばかりか、発明の価値をみても、安価な工業原料である桂皮アルコールを原料とする点に、すでに非凡の着想があるに加え、その後の各工程で幾多の独創をつらね、クロラムフエニコール製造のため、工業的に極めて有利な近路を開拓したもので、これによれば、この貴重な医薬品を、債権者等による独占的価格よりも、遥かに低廉に供給することができる。債務者は、かような事実を考慮し、その他外貨節減輸出振興にも寄与し得ることにも着目して、ベーリンガー社と提携し、製造販売に着手して現在に及んでいる。
七、これを要するに、債務者は何ら債権者等の権利を侵害しているのでないから、本件においては、被保全権利である特許権並びに実施権侵害排除請求権が存在しないばかりでなく、その必要性についても、次にのべるとおり、全く存在の根拠を欠くものである。
(一) まず、債権者等の主張事実中、債務者が月産百五十キログラムのクロラムフエニコールを製造販売することによつて、債権者三共の販売市場がそれだけ減少するとの点は根拠がない。債務者はパラキシンの市場開拓に独自の努力を傾注し、債権者三共の市場以外に新しく販路を開拓したのであるから、この意味では全く債権者に損害を及ぼさない。
(二) 次に、債権者等は、債務者の薬価値下げに対して債権者三共も値下げをやむなくされたと主張するが、わが国においてクロラムフエニコールを販売しているのが債権者三共と債務者だけであると仮定しても、市場の占有比率は債権者三共が七割を占めて、価格支配の優位に立つているから、右の主張は不当である。そればかりでなく、クロラムフエニコールは、他の抗生物質オーレオマイシン、テラマイシンとその治効範囲はほとんど等しくし、医師が、治療に当つては、この三者を区別しないで使用している現状に照らすと、クロラムフエニコールが単独でその価格を決定することは不可能で右二つの抗生物質との相関関係において、すなわち、全抗生物質の需給の変化によつて価格の決定がされなければならないし、現に債権者三共の今回の値下げは、他の製薬会社の他の抗生物質の値下げに対応するものである。
(三) 次に、原価高と販売費用の点について一言するならば、そもそも原価高は、みずからの製法の拙劣なことによるのであるから、これを損害額に算入するのが不当であり、また、販売費用は原価と別に計上すべきでない。
(四) 次に、債権者パーク社の蒙ると称する損害については、債務者の生産量がそのまま債権者三共の販売減少量となり得ないことは前述のとおりであるから、仮に、債権者両名間に特許便用料支払の約定があるとしても、右と同じ理由で、債権者パーク社の収入減は債務者の行為によるとはいえないし、また、債務者は、全生産量を国内だけで消化する方針であるから、その国外輸出を予測し、これを前提とする主張も失当である。
(五) このほか、債権者等は、債権者三共の過去における損害について主張しているが、販売量の減少についても値下げについても、前述のとおり、いずれも債務者の関知しない原因によるのであるから、この主張は失当であるのみならず、そもそも過去における損害は、本件のような仮の地位を定める仮処分の必要性を判断する上において、何の意味ももたない。
八、これに反して、もし本件仮処分申請が認容された場合に予想される債務者の損害は、右仮処分が二年後に失効すると仮定しても、次のとおりとなる。
(一) 売上利益の喪失が約二億七千万円
(二) 手持製品及び返品の損害が約一億五千八百万円
(三) 宣伝費の損失が約二千万円
(四) 仕掛品の損失が約四千五百万円
(五) 工場機械設備の損害が約三千四百万円
(六) 技術導入費の損害が約二千万円
(七) 技術者及び工員の休職による損害が約二百万円
合計約五億五千四百万円であり、右のうち(一)を除く他のすべては、債務者のみに生じて債権者等には生じない損害である。
九、更に、債務者においては、右のほか金銭に見積り得ない損害として、次の点を挙げなければならない。
(一) 本件仮処分の発令により、債務者は本案訴訟の敗訴と同じ打撃をうけることになる。すなわち、例えば、二年後にただちに操業を再開すると仮定しても、そのときは、主として技術上の理由から、現在と同様の利益をあげることが不可能であり、また、クロラムフエニコールにそのものの経済的評価が、はたして今日のそれを維持できるかどうか疑わしいからである。
(二) 債務者の会社運営上、パラキシンは主力製品であり、高収益製品であつて、売上高は全製品の約二割、収益はその約五割を占めるのであるから、かかる製品の生産中止は、金融機関の融資に重大な影響をあたえ、最悪の場合は資金の缺如を示すことも予測され、そうなれば、会社の存続すら不可能である。
十、かように考えてくると、仮処分が発令されないとして債権者三共の被る損害は、一歩を譲り、債務者の売上高がただちに同債権者の損害となるとしても、二年間に二億七千万円くらいであるのに対し、債務者が仮処分によつてうける損害は右五億五千四百万円のほか、金銭に見積り得ない莫大なものがあることになる。およそ仮の地位を定める仮処分では、特に、債権者が著しい損害をうけることが、その必要性の要件であるのにかかわらず、本件ではそのような事実はなく、仮に、いくらかの損害が発生するとしても、仮処分発令によつてその損害を債務者に転嫁する結果となるに過ぎないのであつて、結局全体的にみて、損害の防止ということは期待できないのであるから、いずれにしても、その必要性があるとは到底いい難い。従つて、本件申請はいずれも失当である。
十一、なお債権者等の再抗弁事実は債務者としては、すべて、これを争う。すなわち、
まず、特許権の効力についての債権者等の主張は誤つている。特許の効力は、特許法第三十五条第一項の規定に定めるとおり、「物ノ特許発明ニ在リテハ其ノ物ヲ製作、使用販売又ハ拡布スルノ権利ヲ専有シ方法ノ特許発明ニ在リテハ其ノ方法ヲ使用シ及其ノ方法ニ依リテ製作シタル物ヲ使用、販売又ハ拡布スルノ権利ヲ専有ス」というのであり、また、同法第七十三条第三項により、特許出願者は出願に係る発明を専有する権利があるのである。従つて、第三者の侵害に対抗する効力を附与されることはもち論、その発明を実施することも、また法の許容するところであるから、その実施行為は法律上正当のものであつて、何人もこれを不法として攻撃することは許されない。ただ、同法第七十八条の規定によつて、異議申立等の結果、拒絶の審決が確定したときは、第七十三条第三項の規定による効力は、はじめから生じなかつたものとみなされるが、このような事実がない限りは、実施の差止めを求めることはできない。しかも本件では、債務者の実施するベーリンガー社の各特許の公報に、特許法施行規則第三十八条による「発明相互の関係」の項の記載がなく、また、特許庁からこれを記載すべき旨の指示が発せられることもなかつた事実に鑑みると、本件係争の各特許権間に発明相互の関係のないことは特許庁が公認したところということができる。
十二、債権者等は、その挙示する九件の特許が、クロラムフエニコール製造に関する一貫した特許であるかのように主張(債権者等の主張の項十三)するが、これも誤りである。右九件の特許は、すべて個々の工程の特許にすぎない。これをある順序で結合し、組み合わせることは、また一つの別の発明である。債権者パーク社は、この組合せの発明に対して、特許法上の何等の権利も有しない。同債権者は、債権者等の主張する原特許出願(昭和二十四年二、三九四号)においても、一貫製法の発明につき特許を請求していない。従つて右一貫製法につき債権者等主張のような特徴があり、債務者の製法は本質的にこれと同一で、その範囲を出ないとの債権者等の主張は法律的には意味のないことである。
十三、債権者等の挙示する八件の特許の権利範囲が、いずれも債権者等主張(前同十四)のとおりであることはこれを認める。しかし、債務者の製法が、これにてい触するとの主張事実は否認する。次にこれを分説する。
(一) 特許一八六、一六八号は、特定のカーホニル化合物とニトロエタノールとを原料とし、ニトロヂオルを経てアミノヂオルを得る方法を保護するもので、一位と三位に水酸基を有し、二位にアミノ基に変換し得る基をもつフエニルプロパンから出発する方法(前同十五(一))を保護するものではない。これに対し、これに対応する債務者実施の工程は、桂皮アルコールから、そのブロムヂオキサンを経てアミノジオキサンを得る方法であり、出発物質、生成物質とも、右特許の権利範囲には含まれない。また、仮に、右特許の方法を模して、ベンツアルデヒドとプロムエタノールを反応させても、プロムヂオルは生成しないから、いかなる意味でも債務者の工程が、右特許権にてい触するとはいえない。
(二) 特許一九〇、六九六号による光学異性体の分割方法自体は、従来から公知の常法であつて、何ら新規のものでない。これが特許され得たのは、特許請求範囲において、出発物質及び生成物質を厳しく限定したからである。これに対し、これに対応する債務者の工程では、アミノヂオキン類を対象としている。右特許の対象物質であるアミノヂオルとアミノヂオキサンとは、化学的性質を異にし、化学上も、特許法上も、同じではない。また、債務者の用いる分割剤ヂベンゾイル-d-酒石酸は、右特許公報に記載されている酒石酸、マンデル酸、プロム樟脳スルフオン酸、樟脳スルフオン酸のいずれとも異なるものである。しかも、ヂベンゾイル酒石酸を用いてアミノヂオキサンを分割するときは、クロラムフエニコール製造に必要な1-光学異性体をまず析出し得る利点があるが、酒石酸を用いる場合は、まずd-異性体が析出し、その濾液を処理して1-異性体を得るから、その収量も低下する。またアミノヂオルをヂベンゾイル酒石酸を用いて分割する場合にも、まずd-異性体を析出する。従つて、債務者実施の本工程は、明らかに右特許権にてい触しない。
(三) 特許一八六、一六九号は、特定の完全にアシル化されたアミノヂオルを得る方法を保護するものであるが、債務者の現に実施する方法及び公告八、二七六号の方法には、このようなアシル化された物質を製造する工程は一つもない。またフエニル環のニトロ化のために遊離水酸基を保護する工程もない。しかも、アシル基とニトロ基を同義に解し得ないことは、次の(四)にのべるとおりであるから、本件特許侵害の事実は全然ない。
(四) 特許一八五、六九五号のニトロ化方法自体は、何ら新規性のない常法であり、これも対象物質(Pa)を特定して、はじめて特許となり得たものと解される。従つて、権利範囲が右特定物質のほかに及ぶことはあり得ない。これに対し、これに対応する債務者の工程では、対象物質が全くこれと異つている。債務者は、債権者のとつた迂遠の方法すなわち水酸基とアミノ基とをアシル化して保護するという方法を排し、尿素などを巧みに応用して、アミノヂオルを直接ニトロ化しているのである。しかるに、債権者等は、債務者の工程のうち、(B7)→(B8)、(B6)→(B8)、(B9)→(B9-1)の各工程は、それぞれその中間で(Ba)または(Bb)というヂニロエステルが生成し、その後フエニル環にニトロ基が入ると主張し、かつ、右特許請求範囲のO-アシルの記載はエステルと同義であるから、(Ba)及び(Bb)の中のO、NO2はO-アシルの概念に含まれ、従つて、(Ba)も(Bb)も、特許請求範囲内の物質であると結論前同十七(三)している。しかし、右のような化合物(Ba)または(Bb)が生成するとの主張は何ら事実に基かないものであり(債権者等は、その実験において、反応の途中で右物質を定性的にとり出したに過ぎない。複雑な化学反応機構を、このような事実によつて論断することは、そもそも不可能なことである。)、とるに足りないばかりでなく、たとえ、そのような反応が進む場合でも、それはベーリンガー社ないしは債務者において、故意に行つているものではなく、ニトロ化工程中自然に生起するものである。しかも、ニトロとアシルとは別個の基であり、ニトロ基はアシル基の概念には含まれない。すなわち、アシル基とは、通説によれば、カルボン酸から水酸基OHを除いた残基ないしは、広義に解しても有機酸からOHを除いた残基を意味するのであり、債権者等引用のウルマンの説は少数説である。特許庁は通説をとつており、また、債権者パーク社自身この通説に従つて特許を請求していたものであることは、本件特許(25)一九八、五八一号の特許公報中明細の欄に、「ここにアシル基とは、例えば低級脂肪族アシル基、ハロゲン化された低級脂肪族アシル基、不飽和の低級脂肪族アシル基、エーテル置換された低級脂肪族アシル基、ベンゾイル基、ハロゲン化されたベンゾイル基、ニトロ化されたベンゾイル基、アルキル化されたベンゾイル基、芳香脂肪族アシル基の如き、カルボン酸アシル基の謂である。」と記載していることにより明らかである。従つて、債権者の主張は誤つている。しかも、ニトロ基とアシル基とは反応性を異にするばかりでなく、債務者の対象物質(B9)は、二位のアミノ基が遊離しており、債権者等の主張するように、これが保護されている物質ではない。結局どのような観点からしても、債務者の工程は、右特許権を侵害していないのである。なお、債権者等が実施不能と主張する(B6)→(B11)の反応による製法は、債務者において現に実施してはいないが、反応の起り得ることは実験ずみである。
(五) 特許一九一、〇一三号の対象物質(Pb)と、これに対応する債務者の工程の対象物質(B9-1)とは異る物質である。すなわち、すでに述べたとおり、アシル基とニトロ基とは概念を異にする物質であるし、(B9-1)はアミノ基に結合する基が硝酸塩であつて、アシル基による保護ではなく、それは、その反応性において遊離アミノ基と異ることがない。また、それ故にこそ、債務者は、次のニトロ化の工程で、尿素またはスルフアミン酸を加えることを特徴とするのである。要するに、債務者のこの工程は、何ら本件特許権を侵害するものではない。
(六) 特許一八五、六九六号は、特定のポリアシル化された化合物をアルカリ性加水分解によつて、一位と三位の水酸基からアシル基除去する方法を保護するものであるが、債務者の現に実施していない(B8)→クロラムフエニコールの工程では、対象物質(B8)の一位と三位の水酸基が、ニトロエステルとなつている。ニトロエステルがO-アシルの概念に含まれないことは前記のとおりであるから、(B8)が右特許請求範囲に包含されることはなく、また、債務者の本工程は、還元的環境のもとで行うことを特徴とするからこれらの点で右特許にてい触しないことは明らかである。
(七) 特許一八五、九〇六号も、アミノヂオルのアシル化に関する新規性のない常法であるから、その対象物質は、きびしく限定されるべきである。債権者等は、債務者の製法のうち、(B5)→(B6)の工程がこれを、侵害すると主張するが、(B5)はアミノヂオキサンであるから、右特許の対象物質とは全く相違するし、また、生成物質の点でも、両者は、相違する。従つて、右工程が何ら右特許権を侵害しないことは明白である。また、債権者等は「債務者の製法のうち、(B10)からクロラムフエニコールを製造する工程は、その中間で、必ず1-ベイスを生じ、これがヂクロルアセチル化されてクロラムフエニコールとなるのであるから、本件特許と全然同一の工程である。また、債務者は、この前工程すなわち、ヂニトロ化合物(B9-1)の加水分解でたやすくアミノヂオル(1-ベイズ)を得られるにもかかわらず、本件特許を迂回するためベンザルを化合物として収得するのである。」と主張(前回十七(五)口)する。しかし、債務者が、ベンザル化合物として収得する理由は、債権者等のいうように特許侵害を免れるためではなく、右特許の方法が、アミノヂオルを取得するのに、真空蒸発乾固を行つたのち、有機容媒抽出の工程を経るのに対し、簡単に溶解度の少いベンサル化合物として収率よく収得することができるからであり、これが同時に債務者の製法の特徴となつているのである。
また、ベンサル化合物が1-ベイスとなつてクロラムフエニコールができるとの主張は、債権者等において、この反応過程中に1-ベイスが存在することを実験的に証明していないから、空論に過ぎない。すなわち、化学反応の機構は極めて複雑であり、債権者等の実験の結果のようなただ一つの定性的事実から、その全容を判断することは、まことに無謀といわなければならない。債務者の研究によれば、ベンザル化合物とヂクロル錯酸メチルエステルとの非水溶媒中における反応は、まず反応錯化物を生じ、これが分子内配列を変じて種々の中間体(債権者等の主張する1-ベイスとは別個の化合物)をとり、クロラムフエニコールを生成するものである。従つて、何ら本件特許権を侵害するものでない、これを詳述すると次のとおりである。
(イ) ベンザル体のアゾメチン基-N=CH-の陽性に帯電している窒素原子に、チクロル醋酸メチルのカルボニル基-CO-の炭素原子が附着して中間体(I)となる(式中Rは炭化水素基を示す)
<化学式省略>
(ロ) 次にN=Cの二重結合が弛緩して、中間体(II)となる。
<化学式省略>
(ハ) この中間体は不安定で、R-OHを分離し、安定な(IIIa)又は、(IIIb)となる。
<化学式省略>
(ニ) 右化合物が、反応体系中にまだ反応せずに残るベンザル化合物と衝突してクロラムフエニコールとパラニトロフエニルヂオキサゾリジンが生成する。
<化学式省略>
債務者のこの見解は、債権者の行つた実験の結果並びにギルマン著「有機化学(一巻五六九頁、一九三八年)、梅沢純夫及び須網哲夫の論文「D」-スレオ-1-パラーニトロフエニル-2-アミノ-1・3-プロパンヂオールの新合成法」(欧文日本化学会誌第二十七巻四七七頁以下、一九五四年七月)の各記載事実などによつて十分裏付されている。
(八) 特許二一〇、七〇七号との関係では、債務者の製法中には、クロラールシアンヒドリン、または、そのプレカーサーを用いる工程は一つもないから、右特許権侵害の事実は全くない。
十四、以上のとおり、債権者等の再抗弁は全く失当である。
(疏明) 省略
理由
第一、被保全権利の存否について
(本件における前提的事実)
一、債権者等が本件仮処分申請の理由として主張する事実のうち、
(一) 本件当事者が、いずれも医薬品の製造販売を業とする会社(債権者パーク社は米国会社)であり、それぞれ医薬品クロラムフエニコールを製造し債権者三共は、これをクロロマイセチンの商品名、債務者はこれをパラキシンの商品名で、わが国一般市場に販売していること。
(二) クロラムフエニコールが、微生物ストレプトマイセス・ベネゼラの生成する物質で、債権者等の主張する化学名、構造式並びに薬効をもつものであること。
(三) 右構造式は、債権者パーク社の研究員が、昭和二十四年その合成に成功し、これを確定したもので同債権者は、わが国においてクロラムフエニコール製造に関連のある五十一の特許権(その内容は債権者等挙示のとおり)を有していること。
(四) 債務者は、はじめベーリンガー社からクロラムフエニコールを輸入し、あるいは、輸入したその中間体を加工して、販売していたが、昭和二十九年十月からは新設したパラキシン製造工場で原料から一貫して製造していること及び
(五) 右ベーリンガー社が、クロラムフエニコールの二つの製法についてわが国に特許出願し、公告八、二七六号及び公告二、六二三号をもつて、それぞれ公告されていること。
は、いずれも当事者間に争がなく、債権者三共が、債権者パーク社との契約により、同債権者の有する前記特許権のうち、債権者等の主張(債権者等の主張の項二)する四十六件について、わが国における独占的実施権を得て、これを登録していることは、成立に争のない甲第一号証の一から四十六、甲第六号証の一、二及び証人豊田一彦の証言によつて、これを認めることができる。
(主要な争点と判断の順序)
二、前項掲記の事実関係のもとにおいて、本件仮処分における被保全請求権があるかどうかの結論は、次の事項に関する判断から必然的に導き出されるものであることは、当事者の主張に徴し明白である。すなわち、
(一) 債権者パーク社が、債権者等の主張するような請求権を有するかどうか、換言すれば、債務者が同債権者の特許権を侵害しているかどうかであるが、これは、更に次の諸点を明らかにすることによつて、その結論が導き出される。
(1) 本件について、特許法第三十五条第二項の規定による推定が肯定されるかどうか。
(2) 債務者の採用する製法の具体的内容はどうか及びそれが債権者パーク社の本件特許権による製法と同一か、あるいは全く異るか。
(3) 債務者は、債務者がベーリンガー社の出願公告となつた製法を実施していることを理由に、債権者パーク社の差止め請求を、法律上、拒否し得るかどうか。
(二) 債権者パーク社の被保全権利が肯定される場合において、債権者三共のそれもまた肯定されるかどうか。
よつて、以下順次右各項について、当裁判所の見解と結論とを明らかにする。
(特許法第三十五条、第二項の規定による推定について)
三、債権者等は、「クロラムフエニコールは、特許法にいう新規物質であるから、同法第三十五条第二項の規定により、債務者は、債権者パーク社の前記特許にかかる製法と同一の方法で、これを製造しているものと推定される。」旨主張する。
思うに、本件について右規定による推定が肯定される場合においては、債務者において、その採用する方法が債権者パーク社の特許にかかる製法と異ることを疏明して、右推定を覆えさなければならず、逆に、右規定による推定が行われないとする場合においては、債権者等において、債務者の採用する方法の具体的内容を明らかにし、かつ、それが債権者パーク社の製法と同一であることを立証しなければならない。
しかしながら、もし、事実認定の過程において、他の疏明方法により、債務者の製法が、債権者等の特許にかかる製法と同一であること、あるいは全く異つていることが、それぞれ認定されるならば、前者の場合においては、右規定による推定をまつまでもなく、同じ結論が出されたわけであり、後者の場合においては、右規定による推定を覆えしたに等しい結果となつたわけであるから、いずれの場合においても、右規定の適用の有無、換言すれば、クロラムフエニコールが新規物質であるかどうかについて、判断をする必要がない。
しかして、本件においては、後に説示(理由の項四及び五)するとおり、双方の製法の異同について、それぞれ疏明が十分であると認められるから、この点に関する判断は、省略することとする。
(債務者の製法の具体的内容)
四、債権者等は、債権者パーク社の前掲各特許は、クロラムフエニコール製造の、工業的に可能なあらゆる方法を含んでいるから、債務者は、右特許にかかる製法のいずれかを用いていると主張(その主張の項六)する、そのいわんとするところは、債権者パーク社の前掲特許の一つにでも触れることなしに、クロラムフエニコールを製造することは、工業的には全く不可能事に属するというにあるもののようであるが、このようなことが、はたして科学的正確さをもつていい得るかどうか、甚だ疑問であるばかりでなく、これを支持するに足る何等の疏明はないから、右主張は、債権者等の素朴な確信ないしは推量の域を出ないものというべく、もとより採用し得べき限りではない。
しかして、成立に争のない乙第一号証第八号証及び第十七号証の一二ならびに証人天谷次一、杉野喜一郎、藪田定治郎の各証言によると債務者がベーリンガー社との技術援助契約により、同会社の公告八、二七六号及び公告二、六二三号の各製法のわが国における実施許諾を得て、現に後者の製法を用いて、クロラムフエニコール(パラキシン)を製造していること、また、債務者において、必要があれば、工場設備を多少変更することによつて、比較的容易に前者の製法を実施し得るものであること並びにその各製法の具体的内容が債務者主張(債務者の主張の項五)のとおりであることを、それぞれ推認し得べく、これを左右するに足る疏明はない。
(債務者の製法が特許権にてい触するかどうか)
五、(一)(一貫した製法の特許であるかどうか)
債権者等は、その主張する一八六、一六八号ほか七件の特許権に、債務者の製法がてい触することの一つの理由として、右八件のうち二一〇、七〇七号を除く七件は、はじめ一括出願したものを、特許庁の指示に従つて分割出願とし、登録されたのであり、本来一貫したクロラムフエニコールの製法と見るべきものであるが、債務者の製法は、右一貫した製法と本質的に同一であり、特許の権利範囲を出ないと主張(債権者等の主張の項十六)する。
しかして、右七件の特許が、はじめ特願昭和二十四年二、三九四号として一括出願されたことは当事者間に争がなく、また、成立に争のない甲第二号証の一、二、四、六、七、十及び十一によると、右七件の特許権の特許公報には、発明の目的並びに製造工程の概要について、債権者等の主張(前同十三)するような記述が登載されていることが一応、認められるけれども、これらの事実によつてはいまだ右各特許が一貫したクロラムフエニコール製法の特許であることは認め難く、他にこれを認むべき疏明はない。むしろ、右甲号各証によると、これらは、いずれも、クロラムフエニコール製造の各工程についての特許であり、従つてまた、これらの工程を結合した一貫する製法についての特許ではないことが推認される。従つて、債権者等の右主張は、その前掲事実が認められないことに帰するから、その余の点について判断するまでもなく、失当といわなければならない。
よつて、次に、債務者の各製法が、具体的に、前記各特許権にてい触するかどうかについて、順次検討する。
(二) (一八六、一六八号について)
債権者等は、債務者の製法中B1→B4の工程が、特許一八六、一六八号にてい触すると主張(前同十八(一))する。
成立に争のない甲第二号証の六によると、右特許権の権利範囲は、債権者等の主張(前同十四(1) )するとおりカーボニル化合物を、アルカリ性縮合用触媒を使用して、β-ニトロエタノールと縮合させてニトロヂオール化合物を得、これのニトロ基を還元してアミノヂオル化合物を生ぜしめる方法であることが認められる。これに対し、債務者の工程は、前掲(理由の項四)各証拠によれば桂皮アルコール(B1)のブロムヒドリン(B2)を普通の脱水剤の存在下でアセトンを縮合し、得た化合物(B5)を加圧下でアンモニアと反応させるものであるが、両者の出発物質、中間物質、生成物質が、それぞれ同一、または、均等であることを認めるに足る疏明はなく、むしろ右各証拠によれば、両者は全く相異するものであることが疏明されている。ただ、両者がいずれもクロラムフエニコール合成のための骨格形式の工程である点に共通性を見出し得るが、このことの故に、直ちに、後者が本件特許権を侵害するとはいい得ないから、債権者等の右主張は失当といわなければならない。
(三) (一九〇、六九六号について)
債権者等は、債務者の製法中(B4)→(B5)の工程が、特許一九〇、六九六号にてい触すると主張(その主張の項十七(一))する。
右特許権の権利範囲が、債権者等主張(前同十四(二))のとおり、特定のアミノヂオル化合物の平面異性体の一つを、光学的に活性な酸と反応させて酸附加塩を生じさせ、それを中和して、d及び1異性体を別々に取得する方法であることは、成立に争のない甲第二号証の十によつてこれを認めることができる。これに対して、債務者の前記工程は、すでに説示(理由の項四)したとおりアミノジオキサン(B4)を光学的に活性な酸、殊にヂベンゾイル-d-酒石酸と反応させて光学異性体を分離取得する方法である。債権者等は、債務者の製法では、ヂオキサン環は、すでにこの前の段階(B3)→(B4)で、その役目を果していて、本工程では何の意味もないと主張し、これを理由として両方法の対象物質が均等であることを強調する。
しかし均等物といい得るためには、両物質が交互にとりかえて使用できる性質のものでなければならないと解されるところ、債権者パーク社の本件七件の特許による一連の工程において、対象物質アミノヂオール(P2)を、直ちに、アミノヂオキサン(B4)に置きかえても、クロラムフエニコールの製造が可能であることは、何ら疏明されていない。(右七件の特許による製法では、ヂオキサン環を有する化合物の介入の余地はない。)
従つて、仮に債務者の実施工程において(B4)のヂオキサン環を除去して(P2)としたうえで、光学異性体分割をすることが可能であるとしても、これだけで両物質が均等であるといい得ないことは明らかであるのみならず、分割剤についても、債務者が分割剤として用いるヂベンゾイル-d-酒石酸は、本件特許公報に分割剤として掲記されていないものであることは前記甲第二号証の十によつて認められるし、また、アミノジオキサンにヂベンゾイル-d-酒石酸を作用させるときは、クロラムフエニコール製造に必要な1異性体の附加塩を先に収得し得るに反し、アミノヂオールに特許公報掲記の酒石酸を作用させるときは、まずd-異性体の附加塩が収得されることは本件口頭弁論の全旨によつて真正に成立したと認める甲第十四号証の一によつて認められるところであるから、両者を直ちに同一物または均等物と断定するのは早計といわなければならない。かように双方の対象物質ならびに分割剤について、いずれも同一物または均等物であることの疏明がなく、むしろそうでないことの疏明があつたものというべきであるから、債権者等の主張は、これを採用し得ない。
(四) (一八五、九〇六号二一〇、七〇七号について)
(イ) 債権者等は、債務者の製法のうち、(B5)→(B6)が特許一八五、九〇六号及び二一〇、七〇七号にてい触すると主張する。
右特許一八五、九〇六号が、債権者等の主張(その主張の項(十四(七))するとおりアミノヂオール化合物を、穏和なアシル化条件のもとに、アシル化剤と反応させて、N-アシルアミノジオルを作ることを権利範囲とすることは、成立に争のない甲第二号証の四によつて明白である。これに対し、債務者の右工程は、前説示(理由の項四)のとおりアミノヂオキサン(B5)のアミノ基をヂクロルアセチル化して、ヂクロルアセチルアセトンアミン(B6)とするものである。債権者等は、この点について、ヂオキサン環がこの工程では無意味であることを理由として、双方の対象物質が均等であると主張(その主張の項十七(二))する。しかし、本件特許の対象物質は、実際の製法では、ニトロ化工程を経た後に得られる(P6)であることは、債権者等のみずから主張(前同十四(七))するところであるのに対し、(B5)の物質は、いまだニトロ化工程を経ていない物質であるから(ヂオキサン環を保持したままフエニル環にニトロ基を導入することの不可能であることは、(B6)→(B11)の工程について債権者がみずから主張(前同十七(三))している。)、この両者を双方の製造工程中で相互にとりかえても、クロラムフエニコールの製造が可能であるとは、とうてい考えられないし、また、可能であることについての疏明もない。従つて、両物質は、均等物でないことの疏明があつたものというべきであるから、アシル化の方法の異同について判断するまでもなく、債権者等のこの点に関する主張の失当であることは明らかである。
(ロ) 次に特許二一〇、七〇七号の権利範囲は、債権者等の主張(前同十四(八))するように、特定の化合物を、クロラールシアンヒドリン、または、そのプレーカーサーを用いてヂクロルアセチル化する方法であることは、成立に争のない甲第二号証の五十一によつて、一応、認めることができる。これを前に説示(理由の項四)した、債務者の(B5)→(B6)の工程と対比すると、仮に対象物質の点で、債権者等の主張するように、同一といつてよいほどの酷似があるとしても、そのヂクロルアセチル化の方法が同一もしくは、均等であることについての疏明がない(逆に、均等物でないことが疏明されている。)から、権利侵害の事実を認めることはできない。従つて、右の主張もまた、失当といわなければならない。
(五) (一八六、一六九号、一八五、六九五号、一九一、〇一三号、一八五、六九六号について)
債権者等は、債務者の製法中
(B7)→(Ba)、(B9)→(Bb)が、いずれも特許一八六、一六九号に、
(Ba)→(B8)、(Bb)→(B9-1)がいずれも特許一八五、六九五号に、
(B9-1)→(B9-2)が、特許一九一、〇一三号に、
(B8)→クロラムフエニコールが、特許一八五、六九六号に、
それぞれてい触すると主張(前同十七(三)(四))し、その理由の一として(Ba)、(Bb)、(B8)、(B9-1)の各物質は、いずれも一位と三位の水酸基に、結合して、O-NO2を形成しているが、これが、上述の各特許権の特許公報に、権利範囲として、一般式で表わされた化合物におけるO-アシルと同一の概念であることを挙げる。
債務者の製法において(Ba)及び(Bb)の各物質が生成することについては争があるけれども、それはしばらく措き、O-NO2がO――アシルの概念に包含されるかどうかについて検討するに、成立に争のない甲第二十七号証によれば、ウルマンの化学百科辞典には、アシル化の定義として「CH、OH、NHの中のHと、有機酸または無機酸の残基とを交換すること。」と記載してあることが認められる。しかし、右の学説が、学界における定説であること並びに債権者パーク社が本件特許出願の際に右学説に拠つたものであることについては、必ずしも十分な疏明があるとはいい難く、却つて、成立に争のない甲第二号証の一、二、七及び十一によると、右各特許による方法が、クロラムフエニコール製造のための一連の工程中に占める位置は、順次(1) アミノヂオール化合物(P3)のフエニル環にニトロ基を入れる前提として、水酸基を保護するためにするアシル化(一八六、一六九号)、(2) 右アシル化した物質のニトロ化(一八五、六九五号)、(3) ニトロ化の後に、不用となつたアシル基を除去する加水分解(一九一、〇一三号、一八五、六九六号)の順序であることを一応認め得るのであるところ、甲第二号証の七によると、特許一八六、一六九号の特許公報には、アシル化剤として、アシル無水物またはアシルハロゲニードを掲げており、その例として、無水安息香酸、無水プロピオン酸、ベンゾイルクロリド、アセチルクロリド、フエナセチルクロリド、無水ヂクロル醋酸及無水醋酸等と記載してあることが認められる。思うに、水酸基を有する化合物にかようなアシル化剤を作用させたとき、水酸基が、O-NO2となることは、とうてい考えられないことであり、またフエニル環にニトロ基を入れる前提として水酸基をニトロ化から保護する必要のあるときに、その水酸基だけをまずニトロ化することは意味をなさない(水酸基のニトロ化を防ぐためにこそ、アシル化とニトロ化の二工程を要し、それがそれぞれ特許されているのである。)のであるから、本件各特許請求範囲の解釈としては、対象物資中のO-アシルはO-NO2を包含しないといい得るのであり、これを反対に解すべき根拠もない。従つて、前記各工程が、それぞれ前記各特許権にてい触するとの債権者等の主張は、その余の点について判断するまでもなく、すべて理由がないものといわなければならない。
(六) (再び一八五、九〇六号について)
債権者等は、債務者の製法中(B10)→クロラムフエニコールの工程が特許一八五、九〇六号にてい触すると主張(その主張の項十七(五))する。
右特許権の権利範囲は、すでに説示したとおりであるが、これに対して、債務者の方法は、アミノヂオル硝酸塩に、硝酸硫酸の混液とベンツアルデヒドを作用させ、かくして生成するニトロアミノヂオールをベンツアルデヒドとの縮合生成物(B10)として分離収得し、これにヂクロル醋酸メチルエステルを作用させてクロラムフエニコールを製造するのである。成立に争のない甲第二号証の四によると、本件特許公報中請求範囲の項には、アシル化剤として、ヂクロル醋酸の低級アルキルエステルを使用することが認められるから、債務者が用いるヂクロル醋酸メチルエステルが特許請求範囲内の物質であることは明らかである。しかし、その対象物質の点で一がアミノヂオールであるに対し、他はそのベンザル化合物である点において、相違が見られる。しかるに、債権者等は、右ベンザル化合物は、直ちにヂクロル醋酸メチルエステルと反応するのではなくて、無水条件下では、ベンザル化合物が一旦アミノジオル(1-ベイス)とパラニトロフエニルジオキサゾリジンとなり、次いで、アミノヂオルがヂクロル醋酸メチルエステルと反応してクロラムフエニコールが生成するのであるし、含水条件下では、ベンザル化合物がベンツアルデヒドとアミノヂオール(1-ベイス)とに分れ、後者がヂクロル醋酸メチルエステルと反応してクロラムフエニコールが生成し、前者は、他のベンザル化合物と結合して、パラニトロフエニルヂオキサゾリジンとなると主張(前同十七(五)(ロ))する。しかして、証人上尾庄次郎、ロバート・レイモンドアダムスの各証言ならびにこれらの証言と弁論の全趣旨とによつて直正に成立したと認める甲第二十三号証の一から十六、第二十四号証の四及び五、第三十五号証を綜合すると、右の主張事実は一応これを認めることができる。(債務者のいうように右アミノヂオール化合物を定性的にとり出し得ないということは、直ちに右反応の疏明がないことにはならない。)債務者は、ベンザル化合物のヂクロルアセチル化反応は、右アミノヂオール以外の中間体を経由するものであると反駁(債務者の主張の項十三(七))するが、実験の結果その他その裏附となるべき疏明はなく、また、債権者等の主張事実を覆えすに足る疏明も、ついに、提出されない。
はたして、上に考察したように、債務者実施の反応過程において必然的にアミノヂオール(1-ベイス)が生成し、これとヂクロル醋酸メチルエステルとの反応によつてクロラムフエニコールができるのであれば、たとえ、アミノヂオール(1-ベイス)の生成は債務者の意図しないところであるにしても、それはまさに本件特許の権利範囲に属する方法であるから、債務者は、本工程において、右特許発明を利用しているものといわなければならない。しかして、アミノヂオール(1-ベイス)を直ちにヂクロルアセチル化する右特許発明の方法よりも、そのベンザル化合物にヂクロルアセチル化剤を加えて、化合物中のアミノヂオール(1-ベイス)をヂクロルアセチル化する債務者の方法が、工業的により優れた方法であることについては、債務者の主張もなく、また債務者提出のすべての疏明によつても、これを認めることができない。従つて、債権者等の挙示する他の理由(その主張の項十七(五)(イ))の当否に係りなく、債権者等の前記主張を正当としなければならない。
(七) (発明的価値がないとの主張について)
なお、債権者等は、以上のほか、債務者の製法が発明というに値しないとして種々その見解を開陳しているけれども、発明として無価値であることは、独立して権利侵害の理由とはならないことは、いうまでもないところであるから、これらの点についての判断は、これを省略する。
(権利の正当な行使であるとの主張その他について)
六、(一) 債務者は、債務者は特許法第七十三条第三項の規定により、特許権の効力を有するものとされている。ベーリンガー社の前記各発明を、実施権に基いて実施しているものであり、それは権利の正当な行使にほかならないから、その内容の如何にかかわらず、特許権者においてその差止めを求めることはできない旨抗争する。
しかして、債務者の挙示する右特許法第七十三条第三項の規定によれば、ある発明について出願公告があると、その出願にかかる発明については、特許法上、出願公告の時から、特許権の効力を生じたものとみなされるのであるが、右規定は、これが一般に「仮保護」に関する規定と観念され、呼称されているように、その趣旨とするところは、発明者に対し、公告によりその発明の内容が公表されたことに対する代償として、その発明について特許権の効力を生じたものとみなし、もつて、近い将来特許権者となるであろう発明者を保護しようとするにあり、出願公告によつて、特許権が発生することとしたもの、換言すれば、出願公告があつたことにより、その発明者を特許権者と全く同一に保護しようとするものでないことは、特許法の関係法条において、発明者として、特許法上受ける保護の態様において、両者の間に、少なからぬ差異を設けている事実に徴し、明白である。とくに、わが特許法上においては、登録は特許権発生の要件であるとともに(同法第三十四条)、その移転等の対抗要件でもある(同法第四十五条)にかかわらず、同法第七十三条第三項に規定する権利については、この登録の方法が設けられていないこと、右権利の侵害行為に対しては、その発明について登録があつたのち、はじめて刑事責任を生ずるものとされている点(同法第一二九条第一項第三・四・五)等が注目されなければならない。
特許権と同法第七十三条第三項の規定による権利との間には特許法上叙上のような差異があることを考えると、その採用する製法について、許諾実施権者として登録をする方法をもたない債務者がはたして、第三者である債権者パーク社に対し右製法の許諾実施者であることを理由に、特許法上その発明の効力を援用して、特許権侵害による差止めの請求を拒否し得るかどうか甚だ疑問である。のみならず同法第四十九条等によれば、元来特許権者といえども、常に無条件でその発明を実施し得るものではなく、先行する特許発明を利用しなければ、この実施ができないときはその利用について正当な権限を有しない限り、その範囲で、発明の実施ができないものといわなければならないのであるから、同法第七十三条第三項の規定による権利については、前記同法第四十九条等のような明文のないことを一応、債務者の利益のために考慮の外に置くとしても、少くとも、この種の権利者は、この点においては、本来の特許権者以上の保護を受け得るものでないことは、ほとんど自明ともいうべき事理に属するといえよう。従つて、債権者の製法が債権者パーク社の前掲特許権の一にてい触し、しかも右特許を利用することについて、ベーリンガー社または、債務者に正当の権限を有することを認め得ないこと前段説示のとおりである以上債務者においてベーリンガー社の出願公告にかかる発明の製法を約定により、実施しているということは(それが債務者の行為の違法性の有無すなわち債務者の行為が民法上の不法行為を構成するかどうかの点では意味があるとしても)、それだけで、特許法上、特許権侵害を理由とする行為の差止め請求を拒否し得る理由とはならないといわなければならない。従つて、債務者の行為が正当な権利の行使であるとの見解に立つ債務者の前記主張は排斥を免かれない。
(二) 債務者は、ベーリンガー社の右各発明の特許公告明細書に、「発明相互の関係」の項目の記載、(特許法施行規則第三十八条)がないことをもつて、本件係争権利間に発明利用の関係がないことは特許庁の公認したところであると主張(債務者の主張の項十一)している。成立に争のない乙第一号証、第八号証によると、右明細書にその記載がない事実は一応明らかである。しかしながら、このような単なる形式的な事実から、ただちに実質上も両者間に権利のてい触がないことを推認することはできないものであり、まして特許庁がこれを確認したと認めるべき根拠はないから、右の主張も採用の限りでない。
(権利の侵害)
七、これを要するに債務者がアミノヂオールのベンザル化合物をヂクロルアセチル化する工程を経てクロラムフエニコールを製造することによつて、債権者パーク社の特許権一八五、九〇六号の方法を利用していると認めざるを得ないこと上に説示したとおりであるから、これを利用するについて債権者パーク社に対抗できる正当の権限を有することにつき、他に主張及び疏明ない本件においては債務者の製法は、債権者パーク社の特許権一八五、九〇六号にてい触し、債務者は現に右特許権を侵害しているものと断ぜざるを得ない。
(債権者三共の被保全権利について)
八、債権者三共が、債権者パーク社との契約により、同債権者の有する特許一八五、九〇六号の特許権について他の四十五件の特許権とともに、その独占的実施権を得、その登録を了していることは冐頭掲記のとおりであるから、債権者三共は右特許一八五、九〇六号の特許権の侵害に対し、その差止めを請求する特許法上の権利を有するものと解するを相当とする。
第二、本件仮処分の必要性について
よつて、進んで、本件仮処分における保全の必要の有無について考察する。
債務者が現に一カ月当り百五十キログラムのクロラムフエニコール(商品名パラキシン)を生産していることは、当事者間に争がなく証人豊田一彦の証言及び本件口頭弁論の全趣旨によれば、債権者三共は昭和二十七年夏からクロロマイセチンを独立して生産するようになつたもので、クロロマイセチンは同債権者の全製品の生産並びに販売金額の三割ないし四割を占める重要商品であり、その年間の生産能力は、わが国におけるクロラムフエニコールの年間需要量六トンを、ほぼまかない得るのであるが、パラキシンの小売価格が、クロロマイセチンのそれに比して一割ないし三割も安いので、パラキシンの販売開始以来、同債権者のクロロマイセチンの販路の開拓は、その値下にかかわらず、相当の困難となつているばかりでなく債務者が病院医家等に対して特に積極的に販売をしているため、この方面においては販路の維持すら相当の困難を来し、債権者三共は結局、債務者のパラキシンの販売量に、ほぼ相当する量のクロロマイセチンの販売ができなくなつていると見られること(債権者等においては、債務者がパラキシンの販売を開始した昭和二十九年五月から昭和三十年三月までに債権者三共は一億八千万円に余るクロロマイセチンの販売ができない結果となつたと推定していること)を一応認めることができ、また、右証言並びに、これによつてその成立を認め得る甲第三十四号証の一、二、成立に争のない甲第一号証の一、二によると、債権者パーク社は、特許一八五、九〇六号の使用料として、債権者の三共の生産したクロラムフエニコールの全量に、ミシガン州デトロイト商業会議所の確認した当該一四半期中における債権者パーク社の輸出卸売価格重荷平均値を乗じて得た金額の七・五パーセント(将来は五パーセントとなる予定)の支払をうける約定があり、現に、これに基いて計算された特許使用料を取得していることが、一応認められるのであり、更にこれらの事実から債務者の権利侵害行為の続く限り、債権者等がクロロマイセチンの販売高の維持ないし増加によつて得られる筈の販売利益ないしは特許使用を喪失し、将来債務者に対する本案の勝訴判決(損害の立証が甚だしく困難となるであろうことは、容易に推測し得るところである。)を得たとしても、その実効を期し難く、また、その間少なからざる有形無形の損害を被ることに至るであろうことが、一応推認され、他にこれを覆えすに足る疏明はない。
債務者は、債務者がパラキシンの生産及び販売を全面的に中止しなければならないとすれば、回復し難い損害を被ると主張して、その理由として種々の事情を挙げているが、本件において特許権侵害の事実が明らかにされたのは、アミノヂオールのベンザル化合物をヂクロルアセチル化する方法に限られているのであるから、仮に右の方法を中止することによつて、公告二、六二三号の製法の実施が不可能となるにしても、公告八、二七六号の製法をたやすく実施し得べきことは、すでに説示したとおりであるから、本件仮処分により債務者が侵害行為の禁止に伴い当然受認しなければならない損害(それが、債務者にとつて、物心両面における相当の打撃となるであろうことは、容易に推察し得るところであるが、債務者において債権者パーク社の権利を侵害していることを認めざるを得ない以上、まことに止むを得ないものである。)を甚だしく超えてとくに異常な回復し難い程度の損害を被るであろうと推認することはできない。
第三、結論
以上説示した事実関係のもとにおいては、債権者等の前記請求権を保全し、その被る著しい損害をさけるため必要な措置として、主文掲記のような仮処分を命ずるのを相当とするものと認める。
よつて、本件各申請を右の限度で認容し、債権者等において債務者のため、共同して金五千万円の保証を立てることを条件として、主文掲記の仮処分を命ずることとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅正雄 福森浩 吉江清景)
<化学式省略>